みそのひみつ

日本の食卓に欠かせない調味料、みその魅力とみそを使ったレシピを紹介

 みそは1300年以上にわたり、日本人の食生活に根付いてきました。全国各地には独自のみそ文化が存在し、気候風土や嗜好(しこう)性に合った「故郷の味」として親しまれています。微生物の力を用いて造られる大豆発酵食品のみそには、多くの栄養素が含まれ、健康面からも注目されています。日本の食卓に欠かせない調味料、みその魅力を紹介します。

医学博士、管理栄養士

小川静香 先生

スポーツ栄養学のコラム執筆やスポーツトレーナーを目指す学生への指導など栄養教育活動を幅広く行っている。

マルサンアイ研究課副課長

寺嶋祐司 さん

みそを主とした大豆の研究に従事。基礎研究、大学との共同研究のほか、商品開発や品質・技術改良にも携わっている。

地方色の濃い調味料 大豆由来、発酵による栄養素がたっぷり

 仙台みそ、江戸甘みそ、西京みそ、八丁みそ…。みそは造られる土地ごとに個性があり、地方色の濃い調味料です。大豆由来のイソフラボンやビタミン、発酵によるペプチドやアミノ酸などの栄養素もたっぷり。みその魅力を知れば、各地のみそを食べたくなること間違いなしです。

みその歴史

かつてはぜいたく品 戦国時代は兵糧にも

 みそは中国大陸や朝鮮半島から日本に伝来したといわれています。起源は古代中国の食品「.(じゃん、ひしお)」だと考えられており、日本では701年に制定された「大宝律令」に「未.(みしょう)」の記録が残っています。この「みしょう」が「みしょ」に変わり、やがて「みそ」になったという説や、朝鮮半島の古来の食品「密祖(みそ)」を語源とするという説もあります。

 飛鳥時代頃のみそは高貴な人の間でぜいたく品として扱われ、平安時代には位の高い人の給与や贈答品としても用いられたようです。当時は、みそ汁としてではなく、そのまま食べるか、他の食材に付けて食していたとされます。 みそ汁として飲むようになったのは、鎌倉時代とみられます。武士や僧侶に「一汁一菜」という食事の基本が広まったのです。数多くの具を入れられるみそ汁は、腹を満たす栄養価の高いものとして定着しました。室町時代には庶民にも浸透し、商業の発展とともに各地でさまざまなみそが造られるようになり、現代に続いています。

 一方、戦国時代には、みそは保存性のよさや栄養価の高さから、戦の勝敗にも関わる兵糧として重要視されました。豊臣秀吉による朝鮮出兵の際には、他の武将たちが持ち込んだみそが腐敗する中、伊達政宗のみそは変質することがなかったとされ、後に仙台みその品質の高さを例える逸話として伝わっています。政宗はまた、「御塩噌蔵(ごえんそぐら)」と称するみそ工場を建てさせました。みそを凶作への備えにもしていたといわれます。

みその分類

 みその種類は使う麹の違いによって、米みそ、麦みそ、豆みそ、調合みその4種類に分けられます。米みそや麦みそは米麹や麦麹に大豆と塩、豆みそは豆麹に塩を混合して発酵熟成したものです。調合みそは米みそと豆みそを混合したミックスみそや、米麹と麦麹や米みそと麦みそを混合した米麦合わせが一般的です。

 色は主に白、赤、淡色などに分けられます。風味は甘みそ、甘口みそ、辛口みそに分けられ、南北に長い日本では、しょうゆと同じように北はしょっぱく、南は甘いという傾向があるようです。

 全国には郷土色豊かなみそがあります。「戦国三英傑」と呼ばれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を輩出した東海地方では、現在も豆みそが愛用され、八丁みそ、名古屋みそ、三州みそなどの名称で親しまれています。豆みそは長期の熟成により特有の赤褐色や黒褐色、濃厚なうまみを持っており、みそ汁だけでなく、みそ田楽、みそ煮込みうどん、みそカツなどにも使われ、地方固有の食文化を形成しています。

全国的には“ 米みそ” が主流ではありますが、みそは地域性が大変強い調味料です。

 かつて都があった京都では、華美な王朝文化の中で白くて甘いみそが生まれたようです。今では京都で作られた甘みそは西京みそと呼ばれています。 一方、幕府が置かれた東京では、江戸甘みそが生まれました。江戸甘みそは徳川家康ゆかりの地、三河の八丁みそのようにうまみが濃く褐色ですが、西京みそのような上品さも兼ね備えています。江戸甘みそは今では目にすることが少なく、東京在住でも食べたことのない人が多いのではないでしょうか。